1906-01-01から1年間の記事一覧

二葉亭四迷「世界語」を出版

二葉亭四迷(ふたばてい・しめい)[本名は長谷川辰之助(はせがわ・たつのすけ)]は1902年ロシアのウラジオストック/VladivostokoにてF.A.Postnikov(ポストニコフ)にエスペラントを学び、さらに後には日本での学習書出版のための資金提供を同氏から受けた。 これ…

日本エスペラント協会第2例会

日本エスペラント協会(JEA)は発足1か月後の7月12日に第2例会を行った。参加21名。加藤節はここに参加し、自らの横浜の日本エスペラント協会(NES)をJEAの横須賀支部とすることに同意。参加者には堺利彦(さかい・としひこ)、大杉栄(おおすぎ・さかえ)…

東京に日本エスペラント協会(JEA)を設立

黒板勝美(くろいた・かつみ)*1、我孫子貞次郎(あびこ・ていじろう)*2、薄井秀一(うすい・ひでかず)*3が発起して、日本エスペラント協会/Japana Esperantista Asocio (JEA)を設立。仮事務所を東京市神田区(現:東京都千代田区)におく。この日、10人…

加藤節がエスペラント講習を開始

加藤節の「日本エスペラント協会/Nippon Esperanto Societo」はエスペラント講習会を開始し9月9日におえた。講習生10名。 出典:「日本エスペラント運動史料」、1956.

樋口勘治郎がYMCAで講演

日付は不詳だが、東京高等師範学校教授の樋口勘治郎(1871〜1917)がYMCAでエスペラントについて講演したとのこと。樋口は、フランスのトゥールーズ大学留学中にエスペラントに触れた。ただし、日本でのエスペラント運動には参加していない、とのことである。 …

加藤節が日本エスペラント協会を設立

加藤節(かとう・みさお)*1は横須賀(よこすか)町内(現:市内)で「日本エスペラント協会/Nippon Esperanto Societo」を旗揚げした。講習会を6月10日に開始し9月9日におえた。講習生10名。 出典:「日本エスペラント運動史料」、1956. *1:東京高等商船機関…

浅田栄次、エスペラントでスピーチ

●浅田氏のスピーチ 浅田栄次(あさだ・えいじ、1865-1914)は、官立東京外国語学校(現在の東京外国語大学)で英語を講じていたが、1906年3月17日、高楠学長帰国歓迎・尺教授慰労会の席上、エスペラントであいさつした、との記事がある*1。これが日本初のエ…