-uと-usの心理学
エスペラントの文法の話。動詞の語尾-uは、学校英文法の用語で「imperativo/命令法」ということがあるが、「volitivo/意志法」といったほうがわかりやすい。話し手(=わたし)の強い意志を表しているからだ。
- Ni iru. / 我々は行こう=我々は行くべきだと、わたしは強くおもう。
- Vi ĉiuj iru. / あなたがたは皆行きなさい=あなたがた皆が行くべきだと、わたしは強くおもう。
- Li ekiru. / 彼に行かせよう=彼は行くべきだと、わたしは強くおもう。
ところで、語尾-usは「kondicionalo/叙想法」だが、ここに[u]音があるのと-uとは無関係だ、たまたま現在・過去・未来のaioをとられただけだ、と思っている人は多い。実はこれは関係があるのだ、といってしまおう。この「叙想」に「おもう」という字が入っているように、これは、話し手の弱い意志を表している。いや、「弱い」というのは不適切か。「Sの壁」とでも言おうか。強い意志があっても、現実界で跳ね返されてしまうのだ。有名な例、
- Mi flugus, se mi estus birdo. / 鳥ならば空を飛ばんものを。
というのは、Mi flugu. / 私は飛ぼう、という話し手の強い意志が、跳ね返されたもの。
- Ĉu vi volus trinki kafon? / コーヒーはいかがですか。
というていねいな誘いは、実は Vi trinku kafon! / あなたはコーヒーを飲むべき、という話し手の意志が、Viを前にしてはじきかえされたものだ。
・・・と考えると、もっと有機的なつながりになろう。