歌と差別語

Esperanto estas la lingvo por ni!

 昨日の補足。Kantaro という歌のサイトを紹介して、自分でもあれっと思ったのが、確か"Esperanto Estas la Lingvo Por Mi"(私のため)でなくて、"Esperanto Estas la Lingvo Por Ni"(我々のため)ではなかったか、ということ。
 調べた結論をいうと、確かにEsperanto Estas la Lingvo Por Niという歌詞はあり、これが私が1970年代から親しんでいたものだった。しかし、これは後に「差別」だと言う指摘を受けた歌詞だった。上記ページを見ていただければわかるが、エスペラントが我々の言葉だ、ということを言いたいあまり、これを話しているのが、indianoj/インディアン、nigruloj/黒人、eskimo/エスキモーであり、その人たちについて「未開の」といったニュアンスのステレオタイプの形容をつけていた。部分的に別の歌詞にしようという試みもあったようだが、今ではあまりはやらなくなった。

イヌイット

 ところで、「eskimo/エスキモー」という言葉にも侮蔑感があるとして、これを 「inuito/イヌイット」で置き換えようという動きもある。しかし、これはアメリカ・カナダに限るとして、ロシア(シベリア)圏では不自然なく使われているという指摘もある。よって eskimo という語はなくならないかとも思う。igluo/イグルー(家)やkajako/カヤック(舟)などはこの文化圏から取られた単語である。